人は人に支えられている
みなさんこんにちは。今日も強く生きているひばりくんです。
今日は久々に僕の尊敬するマジシャンの方に会ってきました。僕がマジックをする、というか常にトランプを触るきっかけになった人です。
その人と会って話して一日いろいろと考えたことをちょっと書いていこうと思います。
「上手くなったね」の一言
ある一つの道に精通した人ならちょっとの動作を見ただけでその人の力量がわかると言います。
侍が刀を構えている人を見ただけでその人が手練か見抜くような、そんな感じですね。
もちろんマジシャンもそれは例外ではありません。
今日あった人は先述のように、僕がトランプを触るようになったきっかけを作った人で、日本でトップクラスに入るトランプ捌きの技術を持つ人です。
二人で向き合って座り、各々が1組のトランプを触っていたんですが、ふと僕がカードを取り上げた手つきを見てその人は「あれからなかなか上手くなったみたいだね」と言ってくれました。
自分が自分の技術をどんどんアップデートするのは難しいかもしれないけど、自分のための努力です。
手癖だろうと練習だろうと座学だろうがなんだろうが惜しむことはしません。
しかし今日自分が憧れる人からそう言われた僕は、この言葉が僕を支えてくれてるんだと感じました。
人を支えるのは努力ではない
今まで人は叩き上げの技術や努力に支えられて立っているんだと思っていました。
過酷な練習をしたこと、諦めずに努力したこと、その経験がバックボーンになってその人を支えているんだと。
この考えもきっと間違いではないんだと思います。
努力によっても人は支えられている。でもその努力は遂行するための手段であり、その人を支えるものとは少し違うのかもしれません。
人は努力ではなく、その努力したその先で他の人からかけられる言葉や努力した自分自身に支えられているんだと思います。
僕が今日もらった「上手くなったね」という一言もそうですし、今まで毎日弛まず練習した自分自身にも支えられているんです。
“折れない自分”は人によって作られている
人は明日のために今日努力して、それを支えるのは昨日の自分なんだと思う。
昨日の自分を裏切りたくないと言う人は昨日の自分に支えられている人だ。
そんな自分がいるから今日も頑張るし、自分の頑張りを見てくれる人や認めてくれる人がいるから人は折れないんだろう。
僕も誰かにとってのそんな人でありたいなと、そう思います。
いろんな人に支えられながら僕は、そんな自分になろうとしてる途中なのかもしれないです。
今日は嬉しかったなぁ。会いに行けてよかった。
今回もこんな感じで。それではまた明日!