役に立つのかどうかわからない練習
皆さんこんにちは。練習大好きなひばりくんです。
練習にはもちろん意味があります。意味あってこその練習とも言えますね。
逆に、意味がない練習はいくらやっても仕方ないです。当たり前ですね。
しかし僕はたまに“役に立つのかどうかわからないけどついやってしまう練習”があります。
しかも自分で編み出した練習ですが、どう役に立ってるのかはわかりません。実らない練習なのでもはやゲームのような感覚にも近い気がします。
今回はそれについてお話しようとおもいます。ちなみにちゃんとソースがあってデータが取れている記事ではありませんのでお間違いのありませんようにご注意ください。
この人、どっちに振り返る?
電車で座っているときにやる練習があります。
見える範囲にいる人で適当に目星をつけて、その人が次に振り返るのが右か左か予測するというものです。
一応狙いとしては人それぞれの体のクセみたいなものがパッと見てわかれば便利だよなーと思って始めました。これで体のクセがわかるかどうかはわかりませんが。
なんだかんだこの練習もやってるとだいたい6割くらいは当たります。
僕がしっかりと仕組みを解明できてないから6割なのかもしれませんが、何せこの練習は偶然やタイミングに結構左右されるみたいなんです。
状況が揃わないからちゃんとデータが取れない
例えば目星をつけた人が電車の扉の前に立っているとして、右左云々ではなくその人が振り返る確率ってどれぐらいでしょう?
2択だから50%と言いたくなるかもしれませんが、路線によって開く扉も違うし電車の混み具合などによっても変わってくるはずです。
目の前のドアが開いてそのままその人が電車を降りるなんてしょっちゅうだし(乗り慣れた電車なら普通そうだ)、逆にその人が降りる前に僕の降車駅についてしまったりとなかなか思うように行きません。
その中でも僕が見つけた傾向は、真っ直ぐ立っている状態で、左右どちらかの足が後ろに引かれているとき(片足重心で体重が乗ってる足)、引かれてる足の方向に振り向く確率が高い。ということくらいですね。例:右足を引いてたら右側に振り向く確率が高い
こういう練習の意義とは
正直役に立ってるのかよくわからないこの練習ですが、なんとなく必要なのかなと僕はおもいます。
この練習自体が役に立ったり意味がなかったりしても、この練習の経験を通して何かまた新しい練習法を思いつくかもしれません。
「振り返る方向じゃなくて利き手を探ろう」とか「電車の中じゃなくてマジックの演技の中で観察できるようにしてみよう」とか、考える気概さえあれば可能性は無限大です。
最初にも意味がないと書きましたが、意味がないから尊さがないとは言えないと思うんです。意味がなくても今意味がないだけで、後々
で意味ができれば、今までのことは無駄じゃないと思う。
よくわからない茂みを突き進んで学びがあればその道にも意味はできます。
僕の場合はこういう変態的な人間観察ですが、これは何にでも当てはまります。
自分の仕事とはぜんぜん別分野の学問を独学してみたり、資格の勉強をしてみたり。
その時間が限られた“今”という時間を過剰に圧迫しないなら、とても有意義だと思うんです。
何かをやりたいと思ったら、必要なのはやる理由じゃなくてやりたいと思う原動力です。
おわりに
今日もオチのない話になるかと思ったらちゃんとまとまった記事になって嬉しいです。
自分で書いてて自分が勇気づけられたので世話ないですね。
ちなみにこの記事も電車内で書いています
さて、目標の駅まで長いけど目の前の人はどっちに振り返るんだろうか。右か左か。