相手のことを思いやろう 〜ポーカーは知ってますか論争〜
皆さんこんにちは。普段ほとんどポーカーをしないひばりくんです。
皆さんはポーカーを知っていますか?僕の予想だとほとんどしない、知ってるけどやる機会がない、という人が大半だと思います。日本は大富豪などのカードゲームが圧倒的シェアを誇ってるので、その影響もおおきいのかもしれません。
実はこの「ポーカーは知っていますか?」というキーワードがマジシャンの間でちょっとした話題になっています。
今回はその話題に触れながら、マジックをよく知らない人にもどう教訓として活かすべきかを僕なりに書いていきます。
ポーカーとマジシャンの関係
マジックには色々な種類があります。そしてそれはカードマジックだけに絞っても結構なジャンル、種類に分けることができます。
その中でも(マジシャン内で)コアなファンを獲得しているのがギャンブリングデモンストレーション、ポーカーデモンストレーションという分野で、ギャンブラーのイカサマのテクニックをパフォーマンスとして見せるマジックがあります。厳密に言うとそのテクニック自体はマジックではありません
僕個人の印象ですが、このパフォーマンスはカードを扱う技術の最高峰のような位置づけで、特に叩き上げの技術志向のマジシャンはこの分野に系統するイメージがあります。
普通のマジックなら、どこからともなくエースが4枚出てくるようなマジックが多いですが、ポーカーデモンストレーションではちょっと違います。
乱雑に混ぜたカードを使って、ポーカーのように人数分配ると自分のところだけロイヤルストレートフラッシュなどの滅多に出ない強い役が出る...みたいなのが多く、多くはポーカーやブラックジャックなどのカードゲームがわかるからこそ伝わる部分が多く含まれています。
ポーカーをあんまり知らない日本人
しかし冒頭で書いたとおり、残念ながら日本人にとってポーカーはメジャーではありません。
ポーカーを知らないお客さんに対して、ポーカーデモンストレーションの演技を地で行ってしまうのはとてもじゃないですがお客さんに優しいとは言えません。
と言っても、多くのマジシャンはそのようなお客さんに優しくない演技をしているわけではありません。
今回この話題が拡散されたのも「それはやっぱりお客さんに対してよくないよね」という感じで多くのマジシャンがTwitterでこの話題に触れています。
相手のことを本当に思いやっているのか
この話題は何も、マジシャンのネタ選びやお客さんの傾向だけの問題ではありません。
マジシャンに限らず、人を相手に仕事をするなら相手のことを思いやるのがまず最初の第一歩だと思います。
ポーカーの話で言うなら、お客さんに伝わらないポーカーの役を出すなら4枚のエースを出すほうが、ポーカーを知らないお客さんには伝わりやすくなります。これに関しては多くのマジシャンが同じことを言ってます
しかし逆のパターンもあります。お客さんが本当にポーカーが大好きな人で、その人を思いやるならゴリゴリのポーカーデモンストレーションをするべきです。
要はある一定のものに傾倒していることを否定しているわけではなく、相手に対してのホスピタリティの心をしっかり持っているかということですね。
適切に手段を選ぶことができるなら引き出しが多いに越したことはありません。
自分の技術や優れた部分を誇示したいがために自分のエゴを押し付けるのは相手を思いやっているとは言えませんから、常に相手の立場に立って適切な手段を選ぶことが大切だと僕は思います。
終わりに
今回はマジシャンの間でアツい話題にちょっと触れてみました。
マジシャンの方にこの記事を見られるのは恥ずかしいですが、是非意見を聞いてみたいので、コメント欄か僕のTwitterアカウントにリプをくれると嬉しいです。
一般の方にはちょっとコアな話でしたが楽しんでいただけたら幸いです。ではまた!
すごい本を買ったぞ!
皆さんこんばんは。ノンフィクション系の本が好きなひばりくんです。
先日まとめて本を買ったとき、そのまま積み本となってた本を見つけてテンションが上がっています。
今日はその本のお話です。
『樹海考』と著者村田らむさん
その本、なかなかすごい名前で『樹海考』という本です。
この本書いた人が結構すごいんですよ。本はまだ読んでないけど
著者であるルポライターの村田らむさんは、今ではトカナや東洋経済新聞でも記事を書かれていて、犯罪、新興宗教、ホームレスなどのいわゆるアングラな潜入取材を多くこなす人です。
そんな人が出す「樹海考」...何やら不穏な空気を感じますね。
この人の名前をYouTubeで検索すると体験談を話している動画もいくつかあって、少し最近だとOKOWAチャンピオンシップというイベントで自身が体験した怖い話を話されてたりします。
村田らむさんのお話 参考動画
村田らむさんの語りの動画を貼っておきます。結構刺激が強いので、死体とかそういう話に慣れてない方はやめといたほうがいいです。
OKOWAチャンピオンシップ決勝戦
(村田らむさんは0:11:50から)
OKOWAチャンピオンシップ開幕戦
(村田らむさんは3:18:30から)
終わりに
またこの本も読んだらレビューではないですが、また記事にしようと思います!
下書きもたまるし積み本はたまるしで大忙しです。
動画を見て村田らむさんに興味が出た方は樹海考以外にも刊行されている本が多数あるので是非手にとってみてほしいです。
ただいくつかの本が色々あって絶版になっているのでそれだけご注意ください。
ではでは今回もこんなとこで。ではでは。
何かをマジックで表現する
皆さんこんにちは。四六時中マジックのことばかり考えてるひばりくんです。こんなにいっぱい考えている割には新ネタが一向に増えないんですが、考えている時間は結構楽しいです。
四六時中考えていると言っても、技術面の思考は練習の時に考えているので、何かにのめりこんでる人ならこれは結構普通のことです。
しかし僕は練習時以外もマジックのことはずっと考えていて、そういう時は技術面から離れて概念的なことや理論的な面を考えるんですが、中でも多いのは「何かをマジックで表現する」ためのモデルを考えることです。
今日はマジックで何かを表現するための思考法を一般の人にもわかりやすく書こうと思います。
マジックで表現するとしたら?
僕はよく何かの物事を体験したとき、これをマジックで表現するとどうなるんだろう?ということを考えます。
例えば映画やドラマを見て、これってマジックで表現したときどうやったら魅力が伝わるんだろう、みたいなことですね。「この作品をマジックを通して色んな人に伝えたい!」とかそういうものではなく、頭の体操のような感じで考えることが多いです。
抽象化の練習
映画を見てそれをマジックで表現したいと思ったとき、まず僕が取り掛かるのが抽象化です。
いくらその映画を表現しようと思っても、その映画の主人公やロケーション、小道具なんかを使うことはできませんからもっと広く色んなものに当てはめられるようになるまで物事を単純化していきます。
主人公や登場人物はただの人として置き換えられるし、ものでも人でも究極に単純化してしまえば例えば”A”と呼んで概念化もできます。
主人公が敵を倒した。という事象を抽象化するならAがBを消した。とすることもできます。しかも抽象化に正解はありませんから可能性は無限大ですよね。
ホラー映画はマジックにいい?
これはちょっと専門的な話で僕の持論なんですが、ホラーとマジックは相性がいいと思っています。
マジックは楽しいものでホラーは怖いものだから対極にあると思われるかもしれませんが、お客さんの想像の範囲をはるかに超えるマジックはしばしば「怖い」と表現されます。
そしてホラーや霊現象を抽象化すると、その状況は非常にマジックに当てはめやすいんです。
例えば…
”いないはずの場所に人がいる”
↓ 抽象化
”ないはずのところにAがある”
↓ マジックに当てはめ
”ないはずのところに選んだカードがある”
ただならぬ可能性を感じませんか?はるか大昔、マジックがまだ娯楽ではなかった時代に妖術と恐れられたり宗教などに用いられたのも少し納得がいきますね。
抽象化は面白い
抽象化は何もマジシャンだけにとって有用なことではありません。
抽象化は何か新しいことを考え出そうとするとき、非常に有益なものとなります。
僕が色んな物を抽象化してマジックに当てはめるのは、今までの歴史でマジックに取り入れられてこなかった構成や演出を模索するためです。この作業を多くしていたからホラーとマジックの共通点もその過程でなんとなく自分なりに気づくことができました。
今まで自分が歩んできた範囲や自分が携わる者の歴史をぐるぐる回るのは悪いことではないですが、時には新しいエッセンスも必要です。そのエッセンスを取り入れるためのツールが抽象化だと言えるでしょう。
おわりに
ぜひ抽象化の練習をやってみてください。最初はうまくいかないかもしれませんが、この考え方を癖づけることが何よりも大事です。
今日見た映画を抽象化しても面白いし、抽象化した者同士を比較しあうとまた新しい発見もあるかもしれません。
意外と新しい発見は身近にあるものです。今回もこんな感じで。ではまた。
役に立つのかどうかわからない練習
皆さんこんにちは。練習大好きなひばりくんです。
練習にはもちろん意味があります。意味あってこその練習とも言えますね。
逆に、意味がない練習はいくらやっても仕方ないです。当たり前ですね。
しかし僕はたまに“役に立つのかどうかわからないけどついやってしまう練習”があります。
しかも自分で編み出した練習ですが、どう役に立ってるのかはわかりません。実らない練習なのでもはやゲームのような感覚にも近い気がします。
今回はそれについてお話しようとおもいます。ちなみにちゃんとソースがあってデータが取れている記事ではありませんのでお間違いのありませんようにご注意ください。
この人、どっちに振り返る?
電車で座っているときにやる練習があります。
見える範囲にいる人で適当に目星をつけて、その人が次に振り返るのが右か左か予測するというものです。
一応狙いとしては人それぞれの体のクセみたいなものがパッと見てわかれば便利だよなーと思って始めました。これで体のクセがわかるかどうかはわかりませんが。
なんだかんだこの練習もやってるとだいたい6割くらいは当たります。
僕がしっかりと仕組みを解明できてないから6割なのかもしれませんが、何せこの練習は偶然やタイミングに結構左右されるみたいなんです。
状況が揃わないからちゃんとデータが取れない
例えば目星をつけた人が電車の扉の前に立っているとして、右左云々ではなくその人が振り返る確率ってどれぐらいでしょう?
2択だから50%と言いたくなるかもしれませんが、路線によって開く扉も違うし電車の混み具合などによっても変わってくるはずです。
目の前のドアが開いてそのままその人が電車を降りるなんてしょっちゅうだし(乗り慣れた電車なら普通そうだ)、逆にその人が降りる前に僕の降車駅についてしまったりとなかなか思うように行きません。
その中でも僕が見つけた傾向は、真っ直ぐ立っている状態で、左右どちらかの足が後ろに引かれているとき(片足重心で体重が乗ってる足)、引かれてる足の方向に振り向く確率が高い。ということくらいですね。例:右足を引いてたら右側に振り向く確率が高い
こういう練習の意義とは
正直役に立ってるのかよくわからないこの練習ですが、なんとなく必要なのかなと僕はおもいます。
この練習自体が役に立ったり意味がなかったりしても、この練習の経験を通して何かまた新しい練習法を思いつくかもしれません。
「振り返る方向じゃなくて利き手を探ろう」とか「電車の中じゃなくてマジックの演技の中で観察できるようにしてみよう」とか、考える気概さえあれば可能性は無限大です。
最初にも意味がないと書きましたが、意味がないから尊さがないとは言えないと思うんです。意味がなくても今意味がないだけで、後々
で意味ができれば、今までのことは無駄じゃないと思う。
よくわからない茂みを突き進んで学びがあればその道にも意味はできます。
僕の場合はこういう変態的な人間観察ですが、これは何にでも当てはまります。
自分の仕事とはぜんぜん別分野の学問を独学してみたり、資格の勉強をしてみたり。
その時間が限られた“今”という時間を過剰に圧迫しないなら、とても有意義だと思うんです。
何かをやりたいと思ったら、必要なのはやる理由じゃなくてやりたいと思う原動力です。
おわりに
今日もオチのない話になるかと思ったらちゃんとまとまった記事になって嬉しいです。
自分で書いてて自分が勇気づけられたので世話ないですね。
ちなみにこの記事も電車内で書いています
さて、目標の駅まで長いけど目の前の人はどっちに振り返るんだろうか。右か左か。
読書する時に聞く曲
皆さんこんにちは。本屋は好きだけど読書はなんとなく苦手なひばりくんです。
読書が苦手だ!!
本に関する記事を読んだ方はちょっと意外に思うかもしれませんが、実はそうなんです。集中力が続かないんですよね。
家で読むと本以外の誘惑が多くてそっちに靡いてしまうし、外だと喧騒に気を取られて結局読むのをやめてしまう。
気晴らしに音楽を聴きながら読もうとすると、歌詞と本文がぐちゃぐちゃになります。僕だけ?
ホワイトノイズとかを流して雑音消しをする人もいるようですが音の質感が苦手で結局それもやっていません。
結果本屋は好きで本に興味もあるけど、周りの喧騒や誘惑を断ち切れるほどの魅力のある本以外は読めない贅沢な人間になってしまいました。
しかし最近はちょっとずつ読めるようになってきてます。それがあるジャンルの音楽のおかげなんです。
ハウスなら集中できるぞ
これは僕だけかもしれませんが、ハウスミュージックなら読書にある程度集中できることが最近わかりました。
ハウスとはなんぞや?と言う人もいるでしょう。ちなみにライブハウスとかのハウスではありません。
言葉で説明するのがなんとも難しいんですが、基本的に4つ打ちのリズムを中心に作られるエレクトロ系の音楽と思ってください。ちなみにEDMと似てますがちょっと違います。
ウェイウェイ系のEDMがパリピならハウスは深めれば深めるほど修行僧のようになっていくイメージがあります。まえ習ってたハウスダンスの先生がそう言ってた
ハウスは基本リズムがハッキリしててビートもわかりやすいため、耳馴染みが良いと個人的には思います。
しっかり歌詞ありのものもありますが、それだとポップス色がちょっと出てくるので僕は歌詞なしが好きですね。
それなら歌詞に引っ張られて本文と内容がごちゃごちゃになることもないですし、シンプルなビートの連続なら気を取られることもなくなるでしょう。
ハウスのポッドキャストがおすすめ
もしハウスを聞いてみたいなら、アーティストから探すよりも曲から探す方が効率が良くていいと思います。
今はShazamのようにスマホで曲を聞かせると曲名を特定してくれるアプリもありますし、Youtubeで「House music」と検索すればミックスリストが出てきます。
曲から探した方がいいのはアーティストで縛って曲を探すよりも、曲単位で聴き味のいい曲を探してそれをプレイリストなどにまとめた方が効率がいいからです。YouTubeなら再生リストで曲をまとめられるので便利ですね。
おわりに
皆さんは普段読書をするとき、どんな曲を聴きますか?もしくはどうやって集中力を散漫にせずに過ごしますか?
今回紹介したのも偏った一例ではありますが試してみていただければ僕も嬉しいです。
今回もこんな感じで。ではではまた!
練習。ひたすら練習。
皆さんこんばんは。「ブログでキャラを作りすぎずに素で書いた方がいい」というポストを見てちょっと自信が出たひばりくんです。
素のまますぎてもうちょっと気張れよとか言われそうですがこんな感じでやっていきます。
今日は地味地味な僕の毎日をちょっとだけご紹介します。
地味な練習。通称地味練
今日の昼間、道を歩いていると垣根に小さな動くものが見えました。1cmにも満たない小さいそいつは垣根をよじよじ登っています。
地味なヤツですが知名度はかなり高いアイツ、ダンゴムシでした。
最近乱視がひどくなってきて眼鏡を買い換えた(映画の字幕が読めないレベル)僕ですが、何故かもっと見えないはずの地味な虫は見つけられます。
一応断っておきますが、僕の前世はダンゴムシではないですよ。
ダンゴムシを脇目に歩く僕の手の中にはトランプが1組握られています。
最近覚えなおしたマジックの技術の地味な修正をしながら、ああでもないこうでもないと言いながら眉間にシワを寄せる僕に目もくれず、ダンゴムシのやつはそそくさと土のなかに帰っていきます。
僕の練習は見る人によってはダンゴムシのような地味さなのかもしれません。
「ある一瞬だけ小指が数ミリ動くから、これをなくしたい」みたいなそんな微妙な話をウンウン唸りながら奮闘する毎日。
この地味な練習ってダンゴムシみたいだ。
ダンゴムシみたいな地味練
こんな高尚な練習をダンゴムシと一緒にするな!と怒り出す人もいるかもしれない。
もしそういう人がいたらスライディング土下座しながら謝るけど、ダンゴムシだって結構凄いやつなんです。
アイツらは分解者と言って、めちゃざっくり言うとアイツらが落ち葉などを分解して土をいい土にしてくれる。
虫が苦手な人や興味ない人からしたらなんてことない虫かもしれないけど、ちゃんと必要だし思いがけないところでアイツらに助けられてるはずだと思う。
地味練もたぶんそれと一緒で、“指の動きが”とか“首の角度が”とか“手を振る速さが”とか、こだわりだしたらキリがないところかもしれないし、他人はそこまで見てないかもしれない。
ダンゴムシもそうだ。“ただ丸まるだけでしょ”とか“子供が好き”とか、JKに土の分解?なにそれ美味しいの?って言われるかもしれない。(美味しいの?と聞く時点でそのJKはなにかしらの知識を持っている気がするけど)
なんとなく知識として「ダンゴムシは分解者だ」と知っててもアイツらのことを意識して生きてる人も少ないだろう。
でも確かにいる縁の下の力持ちに絶対みんな支えられてるはずだ。
地味練てそういうものだと思う。こじつけかな?でもたぶん言ってることは間違ってないと思う。正解でもないだろうけど。
さー明日も練習すっか。ほなまた。