ジェンダーに悩む人・悩んだ過去がある人必聴の曲 FLAT / 女王蜂
皆さんこんにちは、ひばりくんです。
今日はYouTubeの特別企画、YouTube Music Week STAY HOME #With meで大好きな女王蜂のライブ映像を見ました。
女王蜂とはなんぞや?という方はぜひ聞いてほしいです。YouTubeで検索してみてください。
注)この記事はただただ僕が好きな記事を僕が好きなように考察、解説する記事です。
先ほど紹介したYouTube Music Week STAY HOME #With meですが、これは色んなアーティスト協力のもとライブ映像などをそれぞれプレミアム配信すると言った企画でして、今日の16:30が女王蜂の番でした。
本当にいい曲がたくさんで、ずっと聞いてて楽しい気持ちになるんですが私が大好きな曲が最後の方で流れました。それがタイトルにも書きました「FLAT」です。
女王蜂の特徴としてストレートなのに少し歌詞が回りくどかったりチョイスするワードが独特だったりと、とにかく心にスッと入ってくるのに歌詞をまじまじと見てみるとちょっと難しいかも?となることが多いんですが、このFLATも例外ではないです。
ライブですがまず動画をご覧ください。
(公式ではないですが Used with permission とあるのでたぶん大丈夫でしょう)
この歌詞はグッと刺さる人と、これ何のこと歌ってんだ?って感じだと思いますが、この歌に救われた人はきっと多いと思います。
この歌はジェンダーに悩む人間への応援歌であり、鎮魂歌だと言えるでしょう。
切ないけど力強く葛藤の末に自分らしさを受け入れて信じようというメッセージを僕は感じるのです。
僕の好きな歌詞を一部紹介します。
この膨らみがなければ
Tシャツ一枚で着れば-中略-
膨らまなければ
同情買って見せれば
最初の歌詞ですね。成長に伴って発達する体への戸惑い。
女王蜂ファンの人たちなら常識ですが、実はボーカルのアヴちゃんは性別非公表です。アヴちゃん自身のことも匂わせるこの歌詞はやはり奥深いものがあります。
ほんとうは
「こんな筈じゃなかった」
「こんなの要らなかった」
じゃあ なにがほんとは欲しかった?
選択肢はあみだくじ
「こんな筈じゃなかった」
「こんなの要らなかった」
じゃあ なんであのとき欲しがった?
回答用紙はほぼ白紙
自分で選べないからこそジェンダーというのはないものねだりになるのかなと、そう思わせられる歌詞。でも自分の成長の過程で言うことも捉え方も変わるし、それで一致するものも違ってくるものだってありますよね。
FLATでいたいよ
心をどうか失くさないよう
うらやましさと比べ合いの
いたちごっこはやめたいよ
FLATでいたいよ
心がどうかはぐれないよう
疑うから信じられる
平坦な戦場
聞くたびに解釈が変わる不思議な歌詞だなといつも思います。「FLAT」という言葉がタイトルになってますが、僕はこれは天秤みたいなものだと思ってます。片方が男性でもう片方は女性。
その天秤をどちらに振り切ることはしたくない。自分は自分で居たい。と今はそう解釈しています。
いつからか
「どこにもいけなかった」
「誰にも言えなかった」
BL GL NL 勝手なCMばっか流れてるTL
単館系ジェンダームービー
主人公は病むか死ぬか恋に敗れるか
ちょっと判んないね
判んないぜ
やっぱり周りと比べての違和感は感じて「どこにも行けない」、「誰にも言えない」という思いを抱くこともある。
自分は自分で生きてるだけなのにBL(ボーイズラブ)、GL(ガールズラブ)、NL(ノーマルラブ)と勝手にカテゴライズされて、そのカテゴライズの中でCMや映画で勝手な消費をされていく。
最近はもう少し寛容になったようには感じますが、少し前を振り返っただけでももっとこの歌詞と同じくらいかそれ以上の偏見がありました。それを思うとこの歌詞は経験していないと書けない歌詞ですよね。
自分らしさってやつ
パンツの中身だけじゃないはず
複雑でも特別でもなく
みんな要求にはストレート
生物的な性別だけがすべてじゃないと、この部分の言葉に救われた人は本当に、何回も言いたいけど本当に本当に多いと思う。
言いたいことは本当にシンプルで、何にも縛られずに自分は自分らしく居たいと、そう思わせてくれます。
あとの歌詞も大好きですで紹介したいのですが、著作権の関係ですべてを引用するのは難しいためここまでとします。
最後の歌詞では「心がもう迷わないよう」と言ってることから、疑いも信じることも、男性性と女性性も含めてすべてを受け入れてそれが自分なんだと、そういってるように聞こえます。
おわりに
いかがだったでしょうか。余談ですが、僕がこの曲に共鳴したのは自分も昔、ジェンダーについて悩んだことがあったからです。
自分は違和感を感じるのに、なんでほかの人は何も思わないんだろう?と思ったと思えば、逆に性同一性障害の人たちを見ると、「自分自身違和感があるけど、本当に身も心も変わってしまおうとは思わない」と思ったり、自分って本当になんなんだ?と本気で悩んだことがありました。
しばらくしてなんとなく心の深いところにもやもやを押し込んで生活してしばらく経ったころ、女王蜂というバンドに出会い、この曲を聴くようになったのです。
この曲を聴いて、違和感も悩みも、自分の存在を社会というフィルターを通して疑うことも、すべてそれも含めて自分自身だと思えるようになったとき、やっと自分の心に整理がついたような気がしてもう悩むこともなくなりました。
最初にこの曲は応援歌でもあり、鎮魂歌でもあると書きました。それは、”ジェンダーの違いや自分自身や周りに受け入れられないことを苦になくなってしまった方への鎮魂歌”という意味はもちろんですが、特に ”僕のように本当の自分自身を有耶無耶にして心の奥底で自分を殺している人への鎮魂歌”という意味を込めて書きました。どうかこの曲がその人にとっての鎮魂歌から応援歌になりますように。僕は願っています
この曲を聞いて この記事を読んで少しでも女王蜂に興味を持って下されば、これほど嬉しいことはありません。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
歌詞引用http://j-lyric.net/artist/a055895/l046119.html
PS
ちなみにこの曲は、女王蜂の「HALF」という曲と対になっています。
FLATが自分の内側にフォーカスを当てた作品となっているのと対照的に、HALFでは自分の外側、外見やそれに関わるイメージにフォーカスを当てた作品になっています。
もし今回初めて女王蜂を知ってもっと知りたいという方はHALFも聞いてみてください。